一方で、「言語」というと、とりわけ「言語」に何らかのかたちで関わる研究をしている人たちにとっては、「日本語」とか「スワヒリ語」といった個別言語の体系あるいはその背景にあると想定される有限の語彙と文法規則に代表される規則などが強く想定される(それは認知や脳へ行く)。
他方で、自然言語処理は、およそ「処理」である以上、そのような意味での言語をいささかも対象とするものではない。処理の対象となりうるのは、生成の場合も含めて、あくまで表現された限りでの言葉である。
ここでは、本来、言語は、言語表現を操作するために必要な限りにおいて導入されざるをえないこともなくはないだろう補助的な概念であり、その逆ではない。ところが、少なからぬ場合に、言語表現・コーパスは、言語を描き出すためのデータであるというかたちで、その関係があたかも逆であるかのように捉えられている。
まるで、例えばAさんが語った言葉をAさんの言葉として聞くのではなく、「日本語」として聞くことが可能であるかのような、倒錯。
もちろん、およそ処理が普遍化ではなく一般化に向かうものである以上、言語の方向へ向けた抽象化は、避けがたいだけでなく、必要でもある。
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個別言語を対象とした言語学では,対象言語についての知識が当然あることを前提に(?),各論に対する理論や概念の紹介になるので,興味が持て泣ければそれで終わり,という感じでした。
言語(理論)と言語表現(言語基盤)について,もう少し体系的に教わることがあれば,(広義での)言語について考えることが幅を持つと同時に,ことばを指導する人にとっても,立ち位置を確認する点で重要な問題だと思いました。