第一章 二一世紀初頭出版業界クロニクル
第二章 出版業界の現在分析
第三章 出版敗戦と第二の敗戦が意味するもの
『出版社と書店はいかにして消えていくか』『ブックオフと出版業界』とともに、出版流通書店三部作として図書館・図書館学関係者には必読の本。
私はいつも本という仏の問題を話すのですが、聞き手が求めているのは仏壇のことなのです。このことが一番顕著なのは図書館の人々だと思います。彼らは常に図書館という仏壇システムのことを語っているのであり、仏である本について何も発言しない。それと同じで、本来であれば、出版社・取次・書店という近代出版流通システムも本が中心となるはずなのに、九〇年代以後、本というものから限りなく遠ざかってきたような気がする。そこにものすごいニヒリズムを感じる。文明の果ての大笑いといったような。
当然、私自身も図書館学関係者なので、批判の対象になっているわけですが、困ったことに実感として、(図書館の現場の人はあまり知らないので)図書館学関係者に限って言えば、同感してしまいます。
少なくとも私の周りの図書館学関係者の中では、一般に本の話しをできる人は図書館そのものからちょっとはずれたところをテーマとしていて、一方、学校図書館や公共図書館をテーマにしている人の多くとは、本の話しはなかなかできないように感じています。
本の話しができることとはどういうことか。私自身は、二つのポイントがあると思っています。
第一は、およそ世界にこれまで生産されてきた本は有限であり、それぞれに名前が付いているか、名前がなくとも、これまでの歴史の中で固有性(単独性とまでは言わないにせよ)を担っていることを認識していること。微妙なのは、このレベルは著者によって把握されるのでもテーマによって把握されるのでも出来事によって把握されるのでもなく、まさに本によって把握されるしかないという点です。
第二は、本は、その内容も含めて、あくまでモノであるという視点を持っていること。「内容も含めてモノである」というのは一見奇妙ですが。
結局、自分が抱いている抽象的な劣等感を現したに過ぎないのですが。
さて、あまりうだうだ言っても仕方ないので、情報資料論の講義ではこの本と『出版界はどうなるのか』といった基本的な統計を組み合わせて授業を進めることにします(と思ってもすぐ忘れるのでそう書いておきます)。
ちなみに小田さんの本についていつも気になることがあります。
どんな立場・意見であれ図書館関係者にとって内容的には絶対読むべき本としてお勧めなのですが、困ったことに、文章・文体が好きになれないのです。
こういうと、ちょっと断定的なトーンとか、図書館批判の舌鋒とか、そういったことを想定される人がいるかも知れないので付言しておくと、そうではありません。
もっと本当に、言葉のかたちや選びかたに関わることです。たとえば、「だが」という接続の音としての使い方、「しかし」や「でも」の使い方、「において」のスコーピング。内容語を見ても、述べられていることに対して一見わかりやすそうでありながらかなりずれのある「出版敗戦」「仏」「仏壇」といった表現。さらに言えば「文明の果ての大笑い」のような引用も。
さて、結局、「これ以上のアメリカ化が進むと、日本という社会も消滅してしまうかもしれない」(p. 263) という部分が、表現の問題として私が感じる負のひっかかりの根本にあるものを示しているように思います(公正のために言うと、この文は、『国民生活白書」がこうした視点から編まれているようにも見える、というかたちで使われており、著者自身の直接的態度表明とはちょっと違うのですが、間接的には態度表明になっています)。
ある本を大切なものとして推薦したときに、ちょっと批判もするのが書評のお作法、と考えてこのようなことを書いているわけではありません。著者の小田さんには申し訳ないのですが、この段落の上にある五つの段落は、最後の一つを除いて、小田さんの本をダシに使いつつ、言葉を読む習慣のない図書館学関係者のすべての方々を頭に置いて書いたものです。
図書館情報学会のシンポジウム・パネリストあるいは特別講演者には、小田さんのような人に来ていただくべきだと思う。